病魔〜入院を経ての監督復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/02 22:02 UTC 版)
「高橋正弘 (サッカー指導者)」の記事における「病魔〜入院を経ての監督復帰」の解説
同1968年。高橋はサッカーの練習中に、突如として激しい息切れを起こして倒れた。弱音を吐く高橋に、妻は「頑張り屋で負けず嫌いの人が」と、信じられない思いだったという。病名は再生不良性貧血であり、緊急入院の身となった。見舞いに訪れた生徒に対しては平気な顔をしていたものの、高校時代の同級生が白血病で死去していたこともあり、「夜1人でベッドに寝ていると死が近づいて来るようだった」と後に語っており、苦悶の日々が続いた。妻は献身的に看病していたが、高橋は一時は離婚も考えたという。 なお、この入院中に高橋に代ってサッカー部をまとめていた主将が、後に新日鉄室蘭サッカー部で選手、監督として活躍した岸奥幸雄(岸奥裕二の兄)であった。 1969年(昭和43年)3月、サッカー部に有望新人が入部との報せが届いた。いても立ってもいられなくなり、投薬治療と通院を条件に、半ば無理やり退院し、監督業へ復帰した。「グラウンドに出れば死は忘れられる」「全国大会に出場するまでは死ねない」との想いであった。 北国である北海道では、依然としてグラウンドが年間の3分の1しか使えず、屋内体育館もほかの運動部と共用で4分の1しか使えないため、ミニゲームで細かいパスワークを磨き、廊下でのランニング、そして氷点下の寒風を切ってのランニングで足腰を鍛えさせた。
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