病魔〜最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 19:20 UTC 版)
1953年(昭和28年)5月、山本は喉の痛みを訴え、収容所内の病院に入院。もともと体が丈夫でなかったことに加え、収容所の悪環境や栄養失調が祟り、病状は悪化の一途を辿った。翌1954年2月に設備の整ったハバロフスク市内の中央病院へ転院するが、喉頭癌性肉腫、それも末期のがんで手遅れと診断され、翌日には収容所へ戻された。 同1954年7月、病状が既に絶望的となった頃に仲間たちに勧められ、日本の母、妻子に宛てて遺書を書き残した。翌月の8月25日、収容所内の病室で、45歳で死去した。仲間たちは作業中の時間帯だったため、誰にも看取られることのない孤独な最期であった。
※この「病魔〜最期」の解説は、「山本幡男」の解説の一部です。
「病魔〜最期」を含む「山本幡男」の記事については、「山本幡男」の概要を参照ください。
- 病魔〜最期のページへのリンク