疎開へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 19:23 UTC 版)
沖縄本島では、1945年5月下旬に日本軍第32軍が司令部のあった首里を離れ本島南部方面に敗走したため、大本営は指揮能力が失われたと判断、八重山軍を第32軍の上級部隊である台湾所在の第10方面軍の直轄下に移した。第10方面軍は沖縄本島地方の戦闘が終結に近いと見て、次に八重山が攻撃を受ける可能性が高いとの判断から、官民の移動が必要と考えた。 6月2日、旅団本部は石垣町長、大浜村長を呼び出し、一般住民の山岳地域への避難を命令した。石垣の中央の地区には郊外地区が疎開先として指定されたが、大浜村などは於茂登岳周辺など、より山岳地域が指定された。竹富村および波照間島に対しては西表島への疎開が命じられた。なお、波照間島へのこの指示はややさかのぼって3月末、黒島への指示は4月上旬であった。
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