番組終了と『ニュースステーション』への影響
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「久米宏のTVスクランブル」の記事における「番組終了と『ニュースステーション』への影響」の解説
番組の視聴率は安定していたが、「人気が衰えてから終了させたくない」とのオフィス・トゥー・ワンの方針と、「半年間の充電期間を設けたい」とする久米の意向を理由に、1985年3月をもって終了した。 久米は『TVスクランブル』を「未来のニュース番組につながるステップボードのような役割を果たしている」としており、1984年夏ごろから当番組の企画会議と並行して、オフィス・トゥー・ワンとともに、のちの『ニュースステーション』(テレビ朝日系列)となるニュース番組の企画を開始している。久米の「充電期間」とは、実際にはこの『ニュースステーション』の企画が固まり、同年秋からの開始に向けた準備期間のことだった。 最終回では南伸坊をゲストに迎え、今まで放送された各コーナーや未放送場面を放送。エンディングでは東京都港区の増上寺大梵鐘前でテーマ曲が生演奏され、恒例の空撮映像で広島県厳島近辺を紹介し、番組を締めくくった。なお、久米はこの最終回の記憶が「ない」と回想している。 『TVスクランブル』の構成や内容は、『ニュースステーション』にも影響を与えたとされる。初期に放送されていた「金曜版」では『TVスクランブル』のカラーを引き継いだようなコーナーが多く放送されていた。
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