JOHNNYS' ジュニア・スペシャル
(畠山 久 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/19 04:04 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動JOHNNYS' ジュニア・スペシャル Johnnys' Junior Special |
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別名 | ジュニア・スペシャル、JJS |
出身地 | ![]() |
ジャンル | アイドル |
活動期間 | 1974年 - 1978年 |
レーベル | CBS・ソニー |
事務所 | ジャニーズ事務所 |
共同作業者 | ジャニー喜多川 |
メンバー | 板野俊雄(トシちゃん) 林正明(マーちゃん) 畠山昌久(チャーリー) |
旧メンバー | 山縣孝良(タカ坊) 井上純一(ジュン) |
JOHNNYS' ジュニア・スペシャルは、1974年夏に「ジュニア・スペシャル」の名で結成され、ジャニーズ事務所に在籍していたアイドルグループ。1970年代の中期に活躍。表記は「JOHNNY'S」ではなく「JOHNNYS'」(「ジャニーの」ではなく「ジャニーズの」の意)が正しい。愛称は頭文字を取って「JJS」。旧グループ名は「ジュニア・スペシャル」。後に「VIP」(後述)というグループとなった。
メンバー
- 板野俊雄(リーダー。愛称・トシちゃん。1957年4月26日 - )
- 林正明(はやし まさあき、愛称・マーちゃん、ドラキュラ。1958年8月30日 - 2016年5月26日(死去判明日)[1]、横浜市保土ケ谷区出身)
- 堀越高等学校出身。
- 畠山昌久(愛称・チャーリー、チャリ坊。1958年2月9日 - 2003年5月31日。東京都出身)
- 堀越高等学校卒業。父親はスパニッシュダンスの先生。
脱退メンバー
(前身グループ「ジュニア・スペシャル」のみに参加したメンバー)
- 山縣孝良 (愛称・タカ坊、1957年5月4日 - 、東京都出身)
- 井上純一 (愛称・ジュン、1958年8月14日 - 、東京都世田谷区出身)
- 山縣孝良の脱退後に参加したが、すぐに同じく脱退。その後は、映画の主役デビューや、ソロレコードデビューなどの活躍をした。
概要
- 1974年夏、「ジャニーズ・ジュニア第1期生」が2つのグループに分割された。一つはフォーリーブスのコンサートのバックダンサーチームとして作られた3人組の「ジュニア・スペシャル」(板野俊雄、林正明、山縣孝良)。もう一方はジャニーズ・ジュニアの名義のまま、郷ひろみのコンサートのバックを担当した(小坂まさる、畠山昌久、近藤純市、鈴木寛、吉田義久、柏木孝夫)。
- 夏のコンサートを終えた同年9月、小坂と近藤が共にジャニーズ事務所からの脱退を宣言し、それまで住んでいたジャニーズの合宿所を退所する。その為、山縣がスペシャルから元のジャニーズ・ジュニアへ異動となり、同年10月に山縣、畠山、鈴木、吉田、柏木の5名に対して「ジャニーズ・ジュニア・エース」というグループ名が与えられたが、翌11月には山縣、鈴木、吉田、柏木の4名もジャニーズ事務所を退所してしまい、エースはわずか一ヶ月で消滅した。
- その後、ジュニア・スペシャルには井上純一が加入。すぐに続いて畠山昌久も加入して4人組になるが、井上が脱退し、最終的に「板野・林・畠山」という構成に落ち着いた。 一方、ジャニーズ事務所を辞めた6名のJr.はバーニングプロダクションへ移籍し、新グループ「メッツ」を結成してレコードデビューした。
- 1975年2月21日、グループ名も正式に「ジュニア・スペシャル」から「JOHNNYS' ジュニア・スペシャル」となり、『ベルサイユのばら』でレコードデビュー。
- 日本テレビ系の早朝子供番組『おはよう!こどもショー』にレギュラー出演。 「JJSの親子ゲームコーナー」というレギュラーコーナーを持ち、板野がレフェリー、林が紅組キャプテン、畠山が白組キャプテンの役だった。 また、番組内で歌も数曲披露しており、持ち歌には『パイの歌』、『らっぱっぱ』、『またですか?』、『ねずみ小僧次郎吉』などがあった。 同番組には、メリー喜多川の愛娘・藤島ジュリー景子も一緒に出演していた。
- 1978年にはJOHNNYS' ジュニア・スペシャルとしてテレビ番組出演等はあったものの、新譜のリリースはなかった。その後同年7月、「VIP」(後述)として再デビューし、JOHNNYS' ジュニア・スペシャルとしての活動は終了した。
エピソード
- 3人の中では林が一番人気があった。雑誌では、林と手塚さとみのツーショット対談なども行われている。また、『月刊明星』の1975年4月号では桜田淳子と共に表紙も飾った。
- ファンによる親衛隊も多く誕生した。代表的なグループは「ガッツ」、「チーパー」など。「ガッツ」は最も大きいグループで、東京と大阪に存在した。また、ステージ用の応援コールも作られた(「J・U・N・I・O・R・ジュニア JJSファイト~!」など)。
- 女優の大島さと子は、かつて林正明の追っかけをしていた。放送作家の山田美保子も、大学時代はJJSの追っかけだった事実を自著で告白している。森公美子もファンであったことを公言している[2]。
主な出演作品
テレビドラマ
バラエティ番組
- ヒット'76(日本テレビ)初代アシスタント
- おはよう!こどもショー (日本テレビ)
- 夜のヒットスタジオ (1975年3月10日、フジテレビ)『ベルサイユのばら』を披露
- ベスト30歌謡曲 (テレビ朝日)
- カックラキン大放送!! (日本テレビ)
- チビらサンデー (1976年 、テレビ朝日)
- パクパクコンテスト (1976年、よみうりテレビ)ゲスト出演で『サタデー・ナイト』を披露
- ヤングおー!おー! (毎日放送)
- ヤング歌の祭典 (第1回:1975年5月5日、第4回:1978年5月2日、NHK総合テレビ)
映画
CM
- 味覚糖 「ソフトキャンディ」
ミュージカル
- ライブ・ミュージカル 『少年たち ~フォーリーブス・不朽の名作~』 (1975年4月5日 - 5月5日)
- オリジナルミュージカルプレイ 『友情』 (「フォーリーブスリサイタル ’75」の中でのミュージカル、1975年)
- フォーリーブス結成10周年記念リサイタルVol.1『ライブ・ミュージカル 少年たちパートII ~ 青春の光と影 / フォーリーブス・ダイナマイトステージ』 (1976年3月)
- おはよう!こどもショー・ポケットミュージカル (共演:藤島ジュリー景子)
ステージ
- 第53回日劇ウエスタン・カーニバル ~ ばらとみかんとバイオリンと (1975年3月28日 - 3月31日、日本劇場)
- ジャニーズジュニアファーストコンサート (1975年4月5日 - 5月5日)
- ’75 サマーキャラバン ジャニーズ・ジュニア・コンサート (1975年7月25日 - 8月16日)
- 第54回日劇ウエスタン・カーニバル ~ ジャニーズ・ファミリー・フェスティバル (1975年8月27日、日本劇場)
- 第55回日劇ウエスタン・カーニバル (1976年3月24日 - 28日、日本劇場)
- JOE vs JJS + GANGS 1976 サマー・ビッグ・シティ・コンサート (1976年8月9日 - 23日)
- 第56回日劇ウエスタン・カーニバル (1976年8月24日 - 28日、日本劇場)
- ジャニーズ・ジュニア サマー・フェスティバル (1977年夏)
- ジャニーズ・ジュニア Jump up スターパレード’77 (1977年冬)
ディスコグラフィ
シングル
- ベルサイユのばら(1975年2月21日/SOLB-215) ※売上枚数8万枚、オリコン最高12位
- 愛のちかい(1975年5月2日/SOLB-276)
- 愛のちかい - 作詞:山口洋子、作曲:鈴木邦彦、編曲:馬飼野康二
- 白鳥 - 作詞:山口洋子、作曲:鈴木邦彦、編曲:馬飼野康二
- さよなら愛(1975年8月21日/SOLB-303)
- さよなら愛 - 作詞:山口洋子、作曲・編曲:穂口雄右
- 恋はサフラン - 作詞:山口洋子、作曲・編曲:穂口雄右
- ハートの夢(1975年12月5日/SOLB-349)
- 愛の飛行船に乗って(1976年2月21日/SOLB-363)
- ※A面の「愛の飛行船に乗って」は『100万人飛行船の会』のテーマソングとして使用された。
- サタデー・ナイト(1976年4月21日/SOLB-411)
- 元気ですか(1976年5月21日/06SH-9)
- サンデー・キューピット(1976年7月21日/06SH-36)
- 太陽のあいつ(1976年10月21日/06SH-77)
- 憧れのベイ・シティ・ローラーズ(1976年12月21日/06SH-114)
- ツイスト110番(1977年3月21日/06SH-135)
- ラストショー(1977年7月21日/06SH-185)
アルバム
- 1975年9月21日 『エンジェルパワー』(アニメソングのカバーアルバム)
- 1976年2月21日 『夢のディスクジョッキー』(売上枚数0.8万枚、オリコン最高29位)
- 1976年 『フォーリーブス10周年記念 PART1』 (フォーリーブス、豊川誕との共演作。中野サンプラザでの実況録音盤)
- 1976年12月21日 『素敵な恋の招待券』
- 1977年12月1日 『集合!アイドルのすべて JJS全曲集』
VIP
VIP(ビップ)は、「JOHNNYS' ジュニア・スペシャル」の後身に当たり、ジャニーズの歴史では極めて稀有の、女性が2人参加したグループ。
メンバー
- 板野俊雄 (元・JJSのメンバー)
- 河村信子 (福岡県出身。劇団員からオーディションを受けての加入)
脱退メンバー
- 林正明 (元・JJSのメンバー)
- 畠山昌久 (元・JJSのメンバー)
- 吉本和子 (東京都出身。フォーリーブスのファンだった事から加入)
概要
- 1978年7月にキングレコードより『南十字星』でレコードデビュー。
- 1979年、林・畠山・吉本の3名が脱退を表明。そして、1979年5月13日に日比谷野外音楽堂にて、約4時間に渡る解散コンサートが行われた。
- 5人組としての「VIP」は解散したが、その後も板野と河村の2人だけでグループを存続させた。そして、1980年にデュオ曲を1枚だけリリースしたが、やがて自然消滅した。
- 河村と吉本は「週刊プレイボーイ」(1979年2月13日号)にて水着姿で登場している。
ディスコグラフィ
シングル
- ※タイアップについてはジャニーズ タイアップ一覧#VIPを参照。
- 南十字星(1978年7月21日)
- 青春にかけろ!(1978年10月5日)
- 青春にかけろ! - 作詞:竜真知子/作曲・編曲:馬飼野康二
- 明日に向って - 作詞:竜真知子/作曲・編曲:馬飼野康二
- きらめきの季節(1980年1月10日) ※板野と河村のデュエット作
- きらめきの季節 - 作詞:福永ひろみ/作曲:小杉保夫/編曲:佐々木勝彦
- おしえて下さい - 作詞:福永ひろみ/作曲:小杉保夫/編曲:エジソン
アルバム
メンバーのその後
- 畠山は脱退後に事務所を移籍。1980年に「畠 真之(はた まさゆき)」に改名して俳優として活動。 1984年に劇団四季へ入団すると、再び「畠山昌久」の名に戻して活動していたが、しばらくしてから「畠山 久(はたけやま ひさし)」へと改名した。1993年には中野サンプラザで行われたロックオペラ「ハムレット」にレアティーズ役で出演し、X JAPANのTOSHI(当時)やデーモン小暮(当時)などと共演。2003年5月31日、転移性胆管癌により死去。45歳没。
- 林はVIP脱退の1ヶ月後から、プライベートでソロのアコースティックライブ活動を数年間続けていた。その後は結婚して男児を一人もうけ、妻の実家の家業である不動産業を手伝っていた。2016年5月26日、心筋梗塞により死去していたことが判明した。57歳没。5月28日に横浜市内で葬儀が行われた[1]。
- 板野と吉本は2019年9月4日、東京ドームで行われた二部制(第一部:芸能関係者、第二部:一般参列者)のジャニー喜多川「お別れの会」に参列した[3]。
出典
- ^ a b “JJS元メンバー林正明さん死去…70年代に人気”. 日刊スポーツ. (2016年5月27日) 2016年5月27日閲覧。
- ^ “「JJS」の林正明さん死去 57歳”. デイリースポーツ. (2016年5月27日) 2016年5月27日閲覧。
- ^ 今井翼、田中聖も参列 ジャニーさん「お別れの会」主な参列者、元所属タレント一覧2019年9月4日 スポニチAnnex(スポーツニッポン新聞社)
関連項目
- ジャニーズ・ジュニア・エース
- メッツ
- ジャPAニーズ
- ジャニーズJr.解散グループ (1990年以前)
- ジャニーズJr.
- ジャニーズ事務所
- 1975年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手
固有名詞の分類
日本のアイドルグループ |
BABY''S ポンバシwktkメイツ JOHNNY''Sジュニア・スペシャル 東京女子流 W-inds. |
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