町家への普及と桟瓦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:06 UTC 版)
防火対策としての瓦はやがて町家にも普及する。16世紀中頃に描かれた洛中洛外図では板葺きであった町家も江戸時代の洛中洛外図では本瓦葺の土蔵が見られるようになる。徳川吉宗は「町中普請にあたり瓦屋根にすること苦しからず」として町家に瓦を葺くことを解禁し、瓦葺きなどの改築を行うと公役金の免除などがしばしば実施された。18世紀後半には町家に瓦が普及するようになるが、その要因の一つは桟瓦の発明である。桟瓦とは平瓦の側面に丸瓦に変わる縁が付くもので、軽量で安価に生産できた。桟瓦の出現について最も知られているのは西村平兵衛の発明とする説で、1674年に近江国園城寺の瓦工であった西村が火除け瓦を改良したと『西村由緒書』に記されている事による。別説としてモースはオランダの桟瓦との類似性を指摘している。桟瓦は町民のみならず番所などの簡易な城郭施設においても用いられるようになる。
※この「町家への普及と桟瓦」の解説は、「日本の古瓦」の解説の一部です。
「町家への普及と桟瓦」を含む「日本の古瓦」の記事については、「日本の古瓦」の概要を参照ください。
- 町家への普及と桟瓦のページへのリンク