甲武鉄道による開業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 03:54 UTC 版)
現在の中央本線の新宿 - 八王子間は、私鉄の甲武鉄道が建設した。その後甲武鉄道は東京市街地中心部への路線延長を図り、1895年(明治28年)4月3日に飯田町駅まで蒸気機関車による運転で開通した。この飯田町駅は飯田橋駅よりも東側にあった駅で、後に貨物駅となり1999年(平成11年)に廃止となった。さらに甲武鉄道は、列車運転本数の増加を図るとともに、蒸気機関車の運転による音や煤煙の公害を軽減する目的もあって、路線の電化を行って電車の運転を開始し、路線の市街地方面へのさらなる延長を行った。こうして1904年(明治37年)12月31日に飯田町から御茶ノ水までの路線が当初から複線電化で開通し、御茶ノ水駅がこの際に開業した。御茶ノ水 - 中野の間で1日28往復、新宿までは10分間隔の運転であった。当初の御茶ノ水駅は現在地よりも新宿寄り、御茶ノ水橋を挟んで反対側にあった。当時の駅舎の跡地には神田警察署お茶の水交番が所在している。駅舎は洋風木造平屋建て、またプラットホームは相対式ホーム2面2線であった。 この区間の建設に当たっては、東京市区改正委員会から道路への影響を避けるように求められ、結果として外濠の内側を走る経路が選択された。また土手や崖地の景観をできるだけ保全するように求められ、さらに湧水にも苦しめられる難工事となった。こうした条件から、御茶ノ水駅は神田川と崖が迫る狭隘な場所に建設される結果となった。 甲武鉄道はさらに御茶ノ水駅より東側の区間の建設を進めていた。しかし1906年(明治39年)10月1日に鉄道国有法により甲武鉄道は国有化され、御茶ノ水駅は国有鉄道の駅となるとともに、御茶ノ水駅より東への延長工事も国鉄へ引き継がれた。1908年(明治41年)4月19日に昌平橋駅までが開通して、当駅は中間駅となった。また同年10月12日に国有鉄道線路名称が制定されて、御茶ノ水駅が所属する路線は中央本線と命名された。
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