甲斐兼蔵とは? わかりやすく解説

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甲斐兼蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/29 14:37 UTC 版)

かいけんぞう
甲斐兼蔵
生誕 甲斐兼蔵
1890年11月5日
熊本県上益城郡甲佐町
死没 (1972-08-05) 1972年8月5日(81歳没)
東京都港区北青山
別名 Kai Dan Kana-zo (Kane-zo)
職業 翻訳、通訳
代表作 『桜の薫』(翻訳)

甲斐兼蔵(かい けんぞう、1890年11月5日 - 1972年8月5日)は日本の翻訳者、英語教師。名はかなぞうかねぞうとも読まれる。

略歴

人物

生家は元酒蔵小作人であったと言われている[2]。1925年2月に兄三八の戸籍に入る。1928年に米国から一時帰国した際、愛媛県松山市寺社建築家児島嘉太郎の娘シメヨの紹介を受け別居のまま結婚(1930年には数か月間呼び寄せをした)[注釈 2]。1932年に帰国した後は独居しており、1937年から渋谷区常盤松で妻子との生活を始める。時期は不明であるが荒木貞夫にあてた書簡が保存されている[3]。1942年までに1男3女を儲けた。1950年に疎開先から帰京した後は東京都港区の都営住宅で5人の家族と暮らし、ときおり米国民となった親族の訪問を受けていたという。1956年ごろカリフォルニアから熊本に帰国した親族の生長の家会員とも交流があったという。

著作

共著
  • The Education of the Boys of Hawaii and Their Economic Outlook. Hawaii: University of Hawaii. (1928) 
翻訳
  • 『桜の薫』、1933年。
    • Sakura no kaori : the fragrance of cherry blossoms. Tokyo: The Foreign Affairs Association of Japan(日本外事協会). (1933)  ソフトカバー版。
    • Sakura no kaori : the fragrance of cherry blossoms. Sanfrancisco: The Japanese American News(日米新聞社). (1933)  ハードカバー版。 - 皇風会、日本精神協会会長の陸軍軍人・貴族院議員菊池武夫の序文、元斎藤内閣陸軍大臣荒木貞夫の題字、奥付印刷の部分は日本語
    • La Fragancia de la Flor del Cerezo. Mexico: Imprenta Mundial. (1934)  スペイン語版。
    • Sakura no kaori: the fragrance of cherry blossoms - Google ブックス
寄稿

脚注

出典
  1. ^ 官報(昭和27年(1952年) 9月18日)。
  2. ^ 橋爪 1997.
  3. ^ 国立国会図書館 2011.
注釈
  1. ^ のちのプロ野球選手甲斐友治は甥にあたる。
  2. ^ 児島の主な建築物は岩谷寺大師堂(1920年、四国霊場45番)。

関連項目

参考文献




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