田村 浩とは? わかりやすく解説

田村浩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/30 00:47 UTC 版)

田村 浩(たむら ひろし、1894年明治27年)5月23日[1][2] - 1962年昭和37年)12月3日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓・戸倉。

経歴

広島県出身[1][2][3]。戸倉浩夫の二男として生まれ、左官職・田村直蔵の養子となる[1]。ホノルル小学校、広島高等師範学校附属中学校(現広島大学附属中学校・高等学校)を経て、1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業[1][2][4]。同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第6連隊付となる[1][4]。1919年(大正8年)11月、陸軍砲工学校高等科(25期)を卒業[1]。1921年(大正10年)4月から翌年3月まで、東京外国語学校英語科で委託学生として学んだ[1]。1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を卒業し野砲兵第6連隊中隊長に就任[1][2][3]

1928年(昭和3年)6月、参謀本部付勤務となり、同年10月から1931年(昭和6年)12月までフィリピンに潜入した[1]。その後、参謀本部付、野戦重砲兵第1連隊大隊長、台湾軍参謀タイ公使館付武官、参謀本部付(香港駐在)などを務め、 1938年(昭和13年)7月、砲兵大佐に進級[1][3]。同年9月、第21軍報道部長に発令され日中戦争に出征[1][2][3]。1939年(昭和14年)8月、タイ公使館付武官に再任された[1][3][3]

1942年(昭和17年)2月、参謀本部付となって帰国し、同年4月、陸軍野戦砲兵学校教官に就任し、同年8月、陸軍少将に昇進して同校付となる[1][2][3]。同年1941年12月、第12砲兵団長に発令され満州に赴任[1][2][3]。1944年(昭和19年)5月、関東防衛軍参謀長に転じた[1][2][3]。同年10月、西部軍司令部付となり帰国[1][2][3]。同年11月、俘虜情報局長官に就任し、1945年(昭和20年)4月、陸軍中将に進級した[1][2][3]。同年11月、俘虜調査部付となり、同年12月に復員[1]

1946年(昭和21年)4月、A級戦犯容疑者として逮捕され巣鴨プリズンに入所[1]。同年5月、召集解除となる[1]1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。1949年(昭和24年)2月9日、GHQ裁判の判決で重労働[注 1]8年の有罪となり[6]、1951年(昭和26年)12月に仮出所となった[1]

栄典

外国勲章佩用允許

脚注

注釈

  1. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、93頁では禁固。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『日本陸海軍総合事典』第2版、93頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『日本陸軍将官辞典』466頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』394頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』388、394頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。
  6. ^ 『BC級戦犯裁判』39-40頁。
  7. ^ 斎藤良衛外四十一名外国勲章記章受領及佩用ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113452900 

関連項目

  • 河辺正三 - GHQ裁判時に田村の証人として出廷

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 林博史『BC級戦犯裁判』岩波書店〈岩波新書〉新赤版952、2005年。ISBN 4-00-430952-2

田村浩(お父さん)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/05/29 19:00 UTC 版)

だっくす」の記事における「田村浩(お父さん)」の解説

田村家の長であり、だっくす飼い主である浩一の父。田村家の中では、だっくす悪戯の一番の標的となっており、だっくすに対してはあまり良い感情抱いていないが、だっくすのことを家族の一員として認めている。前頭部が禿げているのを気にしている。

※この「田村浩(お父さん)」の解説は、「だっくす」の解説の一部です。
「田村浩(お父さん)」を含む「だっくす」の記事については、「だっくす」の概要を参照ください。

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