田島応親とは? わかりやすく解説

田島応親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/08 10:14 UTC 版)

田島 応親(たじま まさちか、1851年4月18日嘉永4年4月18日) - 1934年昭和9年)4月12日)は、幕末幕臣蝦夷共和国通訳。日本陸軍軍人。幼名は金太郎

人物・生涯

幕臣として

砲兵隊頭取細谷安太郎ジュール・ブリュネ大尉陸軍奉行並松平太郎アンドレ・カズヌーヴ伍長ジャン・マルラン軍曹福島時之助アルテュール・フォルタン軍曹
フランス軍事顧問団と榎本軍(1869年)。前列右端が田島応親。画像中の人物にカーソルを合わせると名前が表示され、クリックでリンク先に飛びます。

旗本田島鍋吉の長男として江戸に生まれる。合田清は弟。

文久3年(1863年)、13歳で講武所に入所して砲術を学び、「信号用火箭」と言う新種の火薬を発明して実験を行う。慶応2年(1866年)、16歳で横浜仏語伝習所に入所。その後、幕府伝習隊砲兵隊に所属した。

慶応4年(1868年)、戊辰戦争が勃発すると、仏語伝習所が臨時病院となったため、そこの係員を務めていたが、榎本武揚ら抗戦派と同意し、フランス軍事顧問団との通訳として蝦夷地へ渡った。

明治以後

箱館戦争降伏後、兵部省に出仕。近代兵学を知る者として重用される。晩年は史談会にしばしば出席している。

明治3年(1870年)に大坂の兵学寮に出仕。中教授としてフランス軍の教練書の翻訳等を行う。明治7年頃(1874年)に伝令使を務める。乃木希典と同僚だったが、乃木はフランス語ができなかったため事務をやり、フランス教師との交渉は田島が一任されていたと言う[1]。合田はる(治子)と結婚。明治8年に長女・ひでが誕生。明治12年(1879年)2月、参謀本部第1局第6課兼務(測量課)。この頃には少佐。同10月に総務局翻訳課長を兼務。

明治13年(1880年)に初のフランス公使館付フランス駐在武官としてパリへ赴任する。明治17年(1884年)に駐在武官の任を終え日本に帰国。同4月、参謀本部長伝令使を務める。同6月、大坂砲兵工廠御用掛を兼務(明治21年まで砲兵工廠勤務)。同7月、中佐に昇進する。参謀本部長伝令使兼編纂課長(外国、外国軍の情報収集)にあたる。

明治23年(1890年)に休職(理由不明)[2]。この頃、野戦砲兵第六連隊長砲兵大佐[2]。明治26年(1893年)には健康不良を理由に退官する。

翌明治27年(1894年)1月、妻と共にニューカレドニアへ渡り、明治28年(1895年)4月まで滞在する[3]

明治32年(1899年)、『東京人類學會雜誌』に「佛領新加列土尼島ニ於テ拾收シタル頭骨ニ關スル説明」を発表している。

昭和9年(1934年)死去。享年84。青山霊園に葬られたが、区画整理により1937年、多磨霊園に改葬された[4]

著書・翻訳書

栄典

  • 1884年(明治17年)5月22日 - フランス共和国政府よりのオフィシエ・レジオンドヌール勲章の受領と佩用を允許[5]
  • 1884年(明治17年)5月22日 - スペイン国皇帝よりの勲章の受領と佩用を允許[5]
  • 1884年(明治17年)5月22日 - ポルトガル国皇帝よりの勲章の受領と佩用を允許[5]
  • 1893年(明治26年)4月11日 - 従五位[6]

登場する作品

映画「燃えよ剣」(2021年版)

田島金太郎江戸幕府陸軍フランス軍事顧問 ジュール・ブリュネ土方歳三の回想を聞く際の通訳を務める。

脚注

  1. ^ 鈴木『追跡 : 一枚の幕末写真』、17頁https://dl.ndl.go.jp/pid/12281652/1/12 
  2. ^ a b 休職被仰付 陸軍砲兵大佐 田島応親』(官報 第1965号)大蔵省印刷局、1890年1月20日https://dl.ndl.go.jp/pid/2945216/1/2?keyword=田島應親 
  3. ^ 田島「南洋事情」。 
  4. ^ 田嶋應親”. www6.plala.or.jp. 2024年11月28日閲覧。
  5. ^ a b c 賞勲 田島応親』(官報 第267号)大蔵省印刷局、1884年5月22日https://dl.ndl.go.jp/pid/2943471/1/2?keyword=田島応親 
  6. ^ 『官報』第2932号「叙任及辞令」1893年4月12日。

参考文献

関連項目

外部リンク





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