用地買収と新幹線計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 05:52 UTC 版)
用地買収は前述のように、半ば強制的な形で東海道区間については多くが終了していた。その方法は、突然関係者が土地保有者の元へやってきて、話し合いなど一切せず代わりに杭を打って帰っていき、買収価格の交渉などは無かったというもので、地主は相当安い価格で買い叩かれたという。しかし応じなければ「非国民」扱いされるため、言われるがまま従わざるを得なかったというような例もあったらしい。時局柄、空襲が土地の買収の契機となったことさえあったようである。 戦後、元の土地の所有者から「国鉄に売却した土地が使用される見込みがないのなら返還せよ」という内容の訴訟が起こされた。これは最高裁判所まで行き、日本国有鉄道の敗訴はほぼ確実となった。東海道区間については東海道新幹線の建設が訴訟中に決定したため返還しないことになったが、山陽区間については山陽新幹線計画が具体化していなかったために多くが返還された。そのため山陽新幹線の建設が決定した際は、返還した土地を再び買収するわけには行かないので、多くのルートが変更されることになったという。同新幹線でトンネルが多くなった要因には、このような背景もあったとされる。また、東海道区間でも浜松周辺のように、その後の諸事情から弾丸列車用として予め確保した用地を線路用地には使用せず、ルートを変更して新たに用地を買収し直して建設した区間も存在する。東海道新幹線の浜松駅付近に急曲線が存在するのはそのためである。 なお、東海道新幹線開業後、一等車(現在のグリーン車)のシートポケットに配置されていた訪日外国人旅行者向けの英語版リーフレットのタイトルは「Japan's Bullet Train - 125mph」とあり、「Shinkansen」という言葉が国際的に定着する前は弾丸列車という言葉をそのまま直訳して使用していた。
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