生産の拡大と工場の移転・拡張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 09:28 UTC 版)
「岐阜車体工業」の記事における「生産の拡大と工場の移転・拡張」の解説
その後、1963年(昭和38年)10月に「ダイナロングボディーRK175型」の生産を開始し、約半年後の1964年(昭和39年)4月に1,000台を達成するなど急速に生産を伸ばした。 こうした急速な生産拡大に対応するため、1960年(昭和35年)10月に羽島郡岐南町に「岐南工場」を完成させてプレス部門の吹上工場を集約し、1967年(昭和42年)10月6日には各務原市に「各務原工場」の第1期分としてプレス工場とボディー工場が完成させた。 その後、「各務原工場」は2・3期の増設工事を進め、1970年(昭和45年)1月には本社・岐阜工場を各務原へ移転させて、当社の本拠地となった。 なお、1967年(昭和42年)には「トヨタ自動車工業」の系列工場間で生産の分担の見直しが行われたため、当社が同社との直接取引を始めた「ランドクルーザー」の生産は終了して「荒川車体工業(現・トヨタ紡織)」へ移管され、代わりに「セントラル自動車(現・トヨタ自動車東日本)」から「ダイナ」のルートバンやダブルキャブの製造が移管されて、「ダイナ」が当社の新たな主力車種となった。 そして、1971年(昭和46年)8月には「ハイエース」の生産を始めた。
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