生い立ち/武州忍時代(1858年-1872年)
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1858年(安政5年)、武蔵国忍藩の下級士族、小山宇三郎の長男として生まれる。1864年(元治元年)、7歳より水谷氏の私塾(寺子屋)に入り、漢籍の初歩と算術習字を学び、当時から成績優秀として知られる。1868年(明治元年)に母を失い水谷氏の私塾を去り、松平家が藩主の忍藩の藩校「進修館」の生徒となり、翌年から培根堂及び洋学館に学び、1870年(明治3年)13歳にして、関孝和の流れをくむ数学の至誠賛化流の目録を受ける。翌年14歳にして、忍藩より数学の助教に任命され、母校にて教鞭をとり始める。しかし同年廃藩置県のため、進修館、倍根堂、洋学館などがすべて廃止され、東京に学問修業に出ることとなる。
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