現存する両墓制墓地の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/20 04:43 UTC 版)
埼玉県新座市大和田かつての川越街道、大和田宿の集落に土葬による両墓制の習俗が、昭和期まで存在していた。大和田4丁目の普光明寺に詣り墓があり、大和田1丁目の岾上(はけうえ)墓地と3丁目の三本木墓地が埋め墓となっていた。現在[いつ?]では両墓地とも使われていない。埼玉県では入間川の流域にも両墓制習俗があった。 長野県佐久地域北は北佐久郡御代田町小田井、南は佐久市清川にかけて両墓制墓地が見られた。 奈良県大和高原地方柳生、都祁など。奈良県は緊密な両墓制習慣があった。この地域の両墓制は、埋め墓を年齢や男女で分けるという特徴がある。 瀬戸内海塩飽諸島佐柳島、志々島、高見島などに両墓制の墓地が2014年2月現在の時点で現存する。埋め墓の上に霊屋を建てるという特徴がある。現在は火葬に切り替わっているが、墓地自体は使われている。佐柳島では現在でも埋め墓と参り墓を作ることが多く、両墓制が風習として現存していると言える。なお、佐柳島では埋め墓に霊屋は建てず木を削り出して作った人形を立てる。 両墓制墓地は現在[いつ?]でも見ることはできるが、近年[いつ?]は使われていない場合が多い。それは両墓制が土葬を基本とするため、火葬が一般的となった現在[いつ?]では土葬の両墓制は役割を終えたと言える。現在[いつ?]では特に埋め墓は地域の共同墓地として解釈されている場合が多く、近年[いつ?]は土地利用の観点から埋め墓を再整備して、石塔(墓石)を持つ単墓制の通常の火葬墓に切り替えるケースが多くなっている。
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