現在の嘉数高地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 05:18 UTC 版)
ウィキメディア・コモンズには、嘉数高台公園に関連するカテゴリがあります。 現在は、嘉数高台公園(北緯26度15分31秒 東経127度44分13秒 / 北緯26.25861度 東経127.73694度 / 26.25861; 127.73694座標: 北緯26度15分31秒 東経127度44分13秒 / 北緯26.25861度 東経127.73694度 / 26.25861; 127.73694)となっている。 嘉数に投入された第62師団独立混成旅団には京都出身兵が多く(約3500名)、そのほとんどが故郷を見ずに嘉数にて戦死しているため、“京都の塔”が建てられている。この塔の建設には当時は京都府園部町長で京都府町村会会長であった野中広務が尽力し、実際に訪れた。嘉数高地を訪れた野中は戦争反対・平和への想いを強くしたという。なお、京都兵の次に多かったのが福井兵であり、約1100名。福井兵の多くは後退したが、摩文仁にて京都兵と同じく故郷を見ずに最後を迎えた。そのため、京都の塔とは違って“福井の塔”は摩文仁に所在している。62師団の8個大隊のうち、実に5個が福井県の敦賀市で編成、残り3つが京都府にて編成。その編成地のため募兵が両県地域に掛けられ京都兵と福井兵が多くいたのである。 また、朝鮮半島出身者を祀った“青丘之塔”がある。 また嘉数戦で使用されたトーチカが保存されており、小銃弾のみで破壊されたトーチカが、往時の戦いの激しさを物語っている。 公園にある3階建ての展望台から米軍普天間飛行場が遠望できる。
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