独軍の反撃と崩落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 02:44 UTC 版)
「ルーデンドルフ橋」の記事における「独軍の反撃と崩落」の解説
ドイツ軍はあらゆる手段を講じて橋の破壊を試みた。オットー・スコルツェニー親衛隊中佐は配下の特殊部隊「フロッグマン」をライン川に潜らせ爆破を試み、空軍は連合軍の制空権下にジェット爆撃機Ar 234Bを投入し、更にV2ロケットを11発も打ち込んだが、鉄橋から遠く離れた人家や米軍陣地に落ちるばかりで一発も命中せず、落橋させることが出来なかった。ただし、一発は鉄橋から300メートル以内に落ちており、爆発の際の地震のような衝撃が崩壊寸前の鉄橋にも損害を与えていた。 1945年3月17日午後3時過ぎ、ドイツ軍の攻撃に耐えていた鉄橋は200人の工兵による補強作業中に崩落し、死者28名、負傷者93名を出した。しかしながら、既にその頃にはアメリカ軍は対岸に橋頭堡を確保していたうえ、並行して浮橋を完成させており、橋の崩落が軍事作戦に与えた影響は最小限であった。
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