独自の言語とする理論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 01:09 UTC 版)
「バレンシア語」の記事における「独自の言語とする理論」の解説
バレンシア語がカタルーニャ語とは独立した言語であると主張する理論は、バレンシアにおける言語の起源を論じるものがほとんどである。 もっとも流布している理論の一つは、アンダルスが征服されたあとにおいても、住民が話していたロマンス語であるモサラベ語から発展したものだとするものである。後になって、この言語はカタルーニャ語、プロヴァンス語、カスティーリャ語から単語を借用し、バレンシア語になったとする。しかし、この理論はモサラベ語の資料によって否定されている。おもに、モサラベ語由来の地名、たとえば「Campos」がバレンシア語と特徴を共有しないためである。 別の理論では、バレンシア語はカタルーニャ語とともに古オック語から直接派生したとされる。古オック語は征服王ハイメ1世の宮廷とともにバレンシアにもたらされたとする。ハイメ1世はモンペリエで生まれ、古オック語はトルバドゥールの言葉だったからである。しかし、バレンシアが征服された当時は、実際にはカタルーニャ語とオック語は混同されていたことに注意する必要がある。カタルーニャ語とオック語は詩の朗誦では同じ伝統を共有していたものの、話されるときは別であった。カタルーニャのトルバドゥールは、書くときと話すときでは別の言語になることを知っていた。ハイメ1世の時代に先立つ資料、たとえば「Homilies d'Organyà」では、カタルーニャ語とオック語は違うものであることがはっきり分かる。 こうした理論の支持者は、言語学アカデミーが発表するバレンシア語の標準を批判する。現在のバレンシア語の標準は、理論上は異なるはずのカタルーニャ語との混合物に見えるからである。
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