独立教会としての成り立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 17:55 UTC 版)
「マケドニア正教会」の記事における「独立教会としての成り立ち」の解説
1945年3月、ユーゴスラビア共産主義者同盟のもと、ユーゴスラビア連邦人民共和国が成立し、その構成国としてマケドニア社会主義共和国が成立した。1944年、スコピエにおいて、ヴァルダル・マケドニアの教区を管轄する立場にあったセルビア正教会によってオフリド大主教区の復活が議定された。決定はいったんは否定されたものの、1958年に認められ、またこのオフリド大主教区をマケドニア正教会へと改組する提案が1959年6月に認められた。この決定にはユーゴスラヴィアの共産主義政府の強い圧力があった。ドシテイ(Dositej)がはじめての大主教となった。この時点ではマケドニア正教会は、セルビア正教会の自治教会であった。 セルビア正教会は議定AS. No 47/1959 および6/1959、覚書 57 of June 17/4, 1959に同意した。この決定はマケドニアの司祭たちおよびセルビア総主教ゲルマン(German)による共同の奉神礼によって祝福され、セルビア正教会がマケドニア正教会を承認することを表した。1962年、セルビア総主教ゲルマンおよびロシア総主教アレクシス(Alexis)は、マケドニア正教会をたずねた。聖人メトディウス(Methodius)とキリル(Cyril)の祭日に、両者はマケドニア大主教ドシテイと共に、マケドニア正教会で初めてとなる奉神礼を共に祝福した。 1967年7月19日、オフリドにてマケドニア正教会は自ら独立教会であると宣言、マケドニア社会主義共和国の国民に対して公言した。
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