独立、創業時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/28 04:18 UTC 版)
福松工業所を退職して、カマタコンプレッサを個人事業で創業(当時46歳)。オイルショックで仕事が減り、大変だった時期を工場長として乗り越え実績となった。自分の年齢と子供の年齢を考えると、定年の後の教育費などの負担を考えるとサラリーマンでは厳しくなると思い独立を模索。当時工場にコンプレッサがあり(必需品)それが止まるとエアー工具などが使えなくなり、工場が止まる。至急のサービスを依頼するがすぐには来れないことが多く困っていた、急ぎの時にコンプレッサを自分で修理、上手くいくコンプレッサメーカーのサービス講習を受けて独立。退職届けを出すと、九州松下電器の青沼専務から「厳しい景気の時期を乗り切ってこれから九松はよくなる。なので一緒にやろう。」と留意される。しかし、本人の独立の意思が固いことがわかると、「今まではビジネスとして話をしてきたけど、これからは友達として話をします。鎌田さん、独立しなさい、すぐに。そして、九松の関連にも営業に行って、私の名前もフルに使ってください。」と応援してもらった。名前を使うことはしなかったが、九松の工場、協力工場には様々に営業開拓をした、そして九松のコンプレッサのメンテナンスをしているということが、信用に繋がり、地元企業の工場のコンプレッサのメンテナンスや販売が進むようになる。
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