独演会とホール落語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:09 UTC 版)
「三遊亭圓生 (6代目)」の記事における「独演会とホール落語」の解説
1953年(昭和28年)の麻布の十番倶楽部を皮切りに1954年(昭和29年)から本牧亭で圓生独演会を開き、以降人形町末廣でも開催。切符がすぐに売り切れる程の人気を博し、人形町末廣の廃業まで続いた。戦後から盛んに開かれたホール落語は寄席と異なり演目の時間制限が少なく、口演時間の長い演目が多い6代目三遊亭圓生は独演会と合わせて存分に本領を発揮し、名実共に本格の落語家の一人になった。1960年(昭和35年)に「首提灯」で芸術祭文部大臣賞を受賞。1965年(昭和40年)8代目桂文楽の後を継いで落語協会会長に就任した。会員の団体保険加入など協会の近代化を進めて1972年(昭和47年)5代目柳家小さんに会長職を引き継いで最高顧問に就任した。この年、芸術祭大賞を受賞している。
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