狩野亨吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 07:25 UTC 版)
狩野亨吉は、1928年(昭和3年)5月に、天津教信者2名から7枚の写真の鑑定依頼を受けたが断った。1935年(昭和10年)『日本医事新報』から鑑定を依頼され、7枚中5枚を鑑定し、偽造と回答した。翌、1936年(昭和11年)6月、岩波書店の『思想』誌上に発表した「天津教古文書の批判」により偽書と証明した。鑑定したのは以下の5文書の写真である。 『長慶太神宮御由来』 『長慶天皇御真筆』 『後醍醐天皇御真筆』 『大日本天皇同太古上々代御皇統譜神代文字之巻 大臣紀氏竹内平群真鳥宿禰書字真筆』 『大日本国太古代上々代神代文字之巻』 狩野亨吉は、1942年(昭和17年)に検察側証人として言語学者の橋本進吉とともに出廷証言する。
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