牧野平四郎系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:31 UTC 版)
藩主・牧野氏が牧野平三郎家の庶流であるとする説を採用すると、成興→忠高→氏勝→貞成(牛久保城主)→成定(牛久保城主)→ 康成→忠成(長岡藩祖・牧野氏)となり、平三郎成興が、長岡藩主家との同一の先祖となると見られることになるが、この部分について長岡藩主家系図以外では同時代文書や確かな記録類等、比較が可能なものは知られていない。 牧野平四郎家の家譜は、牛久保城にほど近い正岡城の城主牧野成敏(田兵衛尉)を家祖の父とし、その4男である新九郎氏成を牧野平四郎家の家祖としている。 同家系図によると、長岡藩主牧野家の「牧野家系図」にある牧野成興(平三郎)がこの系図上には存在せず、また牧野成勝の父は、牧野成敏であったとしている。 「牛窪密談記」や「今橋物語」の記述よれば、正岡城主牧野氏は享禄もしくは天文初期に当時主流であった今橋城主牧野氏に敵対するまでして、早くから岡崎松平氏(徳川氏)に帰属したとする。 幕末の信濃国小諸藩(藩主・牧野氏)家臣・牧野八郎左衛門成道、牧野軍次成功、牧野多門正發等は、正岡城主牧野成敏を遠祖とする牧野平四郎家系の出自であるとしている。これが事実とすれば長岡藩主家の系譜の遠祖部分と明らかに異なる家系を相伝していたことになる。
※この「牧野平四郎系」の解説は、「三河牧野氏」の解説の一部です。
「牧野平四郎系」を含む「三河牧野氏」の記事については、「三河牧野氏」の概要を参照ください。
- 牧野平四郎系のページへのリンク