爵位制度の検討
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 10:18 UTC 版)
華族制度の発足以前から、爵位による華族の格付けは検討されていた。1869年(明治2年)5月には華族を「公」・「卿」・「太夫」・「士」の四つに分け、公と卿は上下の2段階、太夫と士は上中下の3段階という計9等級に分ける案が三職会議から提出された。1871年(明治4年)9月には正院から左院に、「上公」・「公」・「亜公」・「上卿」・「卿」の5等級に分ける案が下問された。これを受けた左院は10月に、「公」・「卿」・「士」の3等級に分ける案を提出した。1876年(明治9年)には法制局が「公」・「伯」・「士」の3等級案を提出し、西南戦争以前は3等級案が主流となっていた。 1878年(明治11年)2月4日、法制局大書記官尾崎三良と少書記官桜井能堅から伊藤博文に対し、「公」・「侯」・「伯」・「子」・「男」の5等級案が提出された。これは五経の一つである『礼記』の王制篇に「王者之制禄爵 公侯伯子男 凡五等」とあるのにならったものである。
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