無意識の意味2
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 15:58 UTC 版)
日常的に流れて行く意識のなかでは、様々な「意識の対象」が存在している。この現在の意識の対象は、現前している感覚・意味・感情等のパターンであるが、また、滞りのない自然な、「気づくことなく」想起されている記憶の内容が、その対象である。 「意識」という言葉自体が、「覚醒意識がある」、「何かに気づいている」という通常の意味以外に、主体が意識している「対象の総体」が存在している「領域」の意味を持っている。何かを「意識している」、または、何かに「気づく」とは、対象が、「意識の領域」に入って来ること、意識に昇って来ることを意味するとも言える。 人間は一生のなかで、膨大な量の記憶を大脳の生理学的な機構に刻む。そのなかで、再度、記憶として意識に再生されるものもあるが、大部分の記憶は、再生されないで、大脳の記憶の貯蔵機構のなかで維持されている。 このような膨大な記憶は、個々ばらばらに孤島の集団のように存在しているのではなく、連想が記憶の想起を促進することから明らかなように、感覚的あるいは意味的・感情的に、連関構造やグループ構造を持っている。そして、このような構造のなかで記憶に刻まれている限りは、いかなる記憶であっても、再生、想起される可能性は完全なゼロではないことになる。 人の一生にあって、再度、想起される可能性がゼロではないにしても、事実上、一生涯において二度と「意識の領域」に昇って来ない、膨大な量の記憶が存在する。主観的に眺めるとき、一生涯で、二度と想起されないこのような記憶は、「意識の外の領域」に存在すると表現するのが妥当である。 「意識の外」と言っても、科学的には、大脳の神経細胞ネットワークのどこかに刻まれているのであり、「意識の外」とは、主観にとって、現象的に「意識でない領域」に、膨大な記憶が存在するという意味である。このような、「意識でない領域」が、無意識の第二の意味となる。
※この「無意識の意味2」の解説は、「無意識」の解説の一部です。
「無意識の意味2」を含む「無意識」の記事については、「無意識」の概要を参照ください。
- 無意識の意味2のページへのリンク