無常との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 15:06 UTC 版)
自然を愛し諸国放浪した歌人西行(1118~1190年)は、『旅宿月(旅路で野宿して見る月)』と題する歌において、「都にて 月をあはれと おもひしは 数よりほかの すさびなりけり」〈都にいた折に、月を“あはれ”と思っていたのは物の数ではない すさび(遊び,暇つぶし)であった〉と詠んだ。これは西行が、自身が都に住んでいた時に、月を見て、「あはれ」と思ったのは、すさび=暇つぶしでしかなかったと詠じ、旅路での情景への感動を詠んだ歌である。また、「飽かずのみ 都にて見し 影よりも 旅こそ月は あはれなりけれ」〈飽きることなくいつも都で仰いでいた月よりも、 旅の空でながめる月影こそは、あわれ深く思われる〉という歌もある。 月に「あはれ」を見た西行は、幽玄の境地を拓き、東洋的な「虚空」、無を表現していた。西行と歌の贈答をし、歌物語をしていた明恵は、西行が物語った言として次のように述べている。 西行法師常に来りて言はく、我が歌を読むは遥かに尋常に異なり。花、ほととぎす、月、雪、すべて万物の興に向ひても、およそあらゆる相これ虚妄なること、眼に遮り、耳に満てり。また読み出すところの言句は皆これ真言にあらずや。花を読むとも実に花と思ふことなく、月を詠ずれども実に月とも思はず。ただこの如くして、縁に随ひ、興に随ひ、読みおくところなり。紅虹たなびけば虚空色どれるに似たり。白日かがやけば虚空明かなるに似たり。しかれども、虚空は本明らかなるものにあらず。また、色どれるにもあらず。我またこの虚空の如くなる心の上において、種々の風情を色どるといへども更に蹤跡なし。この歌即ち是れ如来の真の形体なり。 — 「明恵伝」
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