火祭における御師と講社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 01:37 UTC 版)
「吉田の火祭」の記事における「火祭における御師と講社」の解説
上吉田の御師は中世末期以降、富士山と講社(富士講)を結ぶ役割を果たし、近世には86家、明治初年には101家を数え、多くの講社を檀家に持っていた。しかし太平洋戦中戦後の不況や、1964年(昭和39年)に開通した富士スバルラインによって登山経路が変化したことなどにより、宿泊者が減少し廃業した御師家は多い。2012年現在、北口御師団に加入している御師家は35家、そのうち講社を受け入れ営業を続けている御師は、筒屋(つづや)、大国屋(だいこくや)、上文司(じょうもんじ)、菊谷(きくや)の4家である。御師の住宅は歴史的価値を認められ、旧外川家住宅(塩屋)、小佐野家住宅(堀端屋)は、それぞれ世界遺産富士山-信仰の対象と芸術の源泉の構成資産となり、国の重要文化財に指定されている。上文司家住宅(上文司)、原家住宅(竹屋、竹谷)は、それぞれ国の「登録有形文化財(建造物)」に登録されている。富士信仰の講社は、宿坊である御師に宿泊して浅間神社に参拝し、富士山へ登拝し御師に縁のある山小屋に泊まり、山頂で拝みを上げて下山するのが古くからの慣わしであった。しかし今日では御師に宿泊せず休憩だけする講社が多い。宿泊を伴う各講社は滞在中各種儀礼を行うが、詳細については後述する。
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