漁期と規模
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 16:27 UTC 版)
「バーレーンの真珠採取業」の記事における「漁期と規模」の解説
前述のように、真珠採取は古くから季節労働であり、3月末から9月末までの約半年間が採取の時期となるが、本格的に潜水が行われるのは6月から9月末ないし5月中旬から9月中旬までで、それ以外の時期は予備的な調査であったり、沿岸部での小規模な採取が主となる。イスラーム暦で断食を行うラマダーンと重なる時期については、潜水夫たちには潜水を拒否する者もいる。それは海水が耳に入ると淡水に変わって体内に入り、断食を破ると信じられていたためだったという。その一方で、慣例ではラマダーンには採取を中断して港に戻り、ラマダーンが明けてから再出発するのが原則とされていたが、実際の運用は柔軟で、数日の断食だけで漁を再開し、帰港してから帳尻合わせの断食が行われることもあったという。 本格的な真珠採取においては真珠床、つまり真珠貝が取れる漁場に繰り出すことになる。真珠床(総称はヒールないしヘイル)は形状や規模によってズフル、ナイワ、ハーラ、ハワード、アーリド、タブラーなど多様に呼び分けられ、それぞれの真珠床には発見者の名前や近隣の沿岸部の地名がつけられた。ペルシア湾岸は真珠床が多いが、特にアラビア半島側に良質な真珠床が多く存在した。このため、イラン側での真珠採取が3、4年に一度しか行えなかったのに対し、バーレーン側では毎年かなりの量の真珠貝を採取できた。ただし、その真珠貝から取れる真珠は稀少で、ペルシア湾(より詳細な地域は不明)での記録として、3万5000個の真珠貝の中から商品価値のある真珠は3個だけ(ほかに価値のない真珠が18個)という数字もあったという。 ペルシア湾の真珠採取船は、本格的な採取の時期には数ヶ月陸に戻れないこともあったが、バーレーンの場合は漁場の近さから、時折は陸に戻ることも可能だったという。それでも、漁期に戻れるのは1、2回だったとも言われている。採取船に乗り込む人数は規模によっても違うが、バーレーンの場合、1924年の公的な記録として、5人以下の船が62隻、15人以下が436隻、それを超える船が114隻となっていた。
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