源義経の遺児伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 10:00 UTC 版)
栃木県真岡市にある遍照寺 (真岡市)の古寺誌によると、常陸坊海尊は藤原秀衡の命を受け源義経の子経若を常陸入道念西(伊達朝宗)に託したとの伝承がある。 遍照寺 (真岡市)の古寺誌 文治中、藤原泰衡追悼の軍功により賞与を仝地に賜り、故に奥州伊達の地に移る。これより先、常陸坊海尊なる者藤原秀衡の命を受け源義経の子、経若を懐にして中村に来り、念西に託す。念西、伊達に移るに由り常陸冠者為宗を伝とし中村家を為村に譲り、為宗我が子とし成人の後、中村を続かしむ。後、中村蔵人義宗と言ふ。又左衛門尉朝定と改む。 また、青森県弘前市新寺町の圓明寺(円明寺)の縁起には「千歳丸のちの経若丸は源義経の子であり、千歳丸を常陸坊海尊に託し、常陸介念西に預け後に養子にした。その後は行方知れず。」との伝承もある。
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