源義経の遺児経若の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 06:45 UTC 版)
下野国の御家人、中村朝定は義経の遺児であったという伝承がある。「藤原秀衡の命を受けた常陸坊海尊は源義経の子、経若(千歳丸)を常陸入道念西(伊達朝宗)に託した。経若(千歳丸)は、後に朝定と名乗った」と、栃木県真岡市の遍照寺の古寺誌や、青森県弘前市新寺町の圓明寺(円明寺)の縁起に残されており、縁も所縁もない遠隔地に於いて同様の伝承がある。 遍照寺 (真岡市)の古寺誌 文治中、藤原泰衡追悼の軍功により賞与を仝地に賜り、故に奥州伊達の地に移る。これより先、常陸坊海尊なる者藤原秀衡の命を受け源義経の子、経若を懐にして中村に来り、念西に託す。念西、伊達に移るに由り常陸冠者為宗を伝とし中村家を為村に譲り、為宗我が子とし成人の後、中村を続かしむ。後、中村蔵人義宗と言ふ。又左衛門尉朝定と改む。
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