源義経の峠越えとは? わかりやすく解説

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源義経の峠越え

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 07:12 UTC 版)

大坂峠」の記事における「源義経の峠越え」の解説

1186年文治2年2月、「十七日の卯の刻阿波勝浦着きけり」と「平家物語」に出ている源義経率い一軍は、翌18日19日という説もある)にかけての深夜にこの大坂峠越えたといわれ、同書11には、「その日は阿波の国板東、板西行き過ぎて阿波讃岐とのさかひなる大坂峠といふ所にうち下がって」とある。 「源平盛衰記」によると、義経一行は、峠越え直前に、現在の大寺にある金泉寺夜遅く立ち寄ったその頃近く住民観音講馳走並べていたが、義経一行軍馬の音に驚いて逃げてしまった。義経らはその馳走食べ峠越え腹ごしらえをしたという。 義経軍勢は、ほぼ一日間で阿波の国吉野川下流駆け抜けて、讃岐山脈越えたのであるが、この峠越えのほかにもその通過した考えられている道が二か所ある。一つは、現在の美馬市脇町から高松市通ず清水越国道193号)、もう一つは、板野郡上板町から東かがわ市への大山越である。大山越の本県側には、大山寺があり義経に関する言い伝え残っている。

※この「源義経の峠越え」の解説は、「大坂峠」の解説の一部です。
「源義経の峠越え」を含む「大坂峠」の記事については、「大坂峠」の概要を参照ください。

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