源義経の峠越え
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1186年(文治2年)2月、「十七日の卯の刻に阿波の勝浦に着きけり」と「平家物語」に出ている源義経の率いる一軍は、翌18日(19日という説もある)にかけての深夜にこの大坂峠を越えたといわれ、同書巻11には、「その日は阿波の国板東、板西行き過ぎて、阿波と讃岐とのさかひなる大坂峠といふ所にうち下がって」とある。 「源平盛衰記」によると、義経一行は、峠越えの直前に、現在の大寺にある金泉寺に夜遅く立ち寄った。その頃、近くの住民が観音講で馳走を並べていたが、義経一行の軍馬の音に驚いて逃げてしまった。義経らはその馳走を食べ、峠越えの腹ごしらえをしたという。 義経軍勢は、ほぼ一日間で阿波の国の吉野川下流を駆け抜けて、讃岐山脈を越えたのであるが、この峠越えのほかにもその通過したと考えられている道が二か所ある。一つは、現在の美馬市脇町から高松市へ通ずる清水越(国道193号)、もう一つは、板野郡上板町から東かがわ市への大山越である。大山越の本県側には、大山寺があり義経に関する言い伝えが残っている。
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