渋谷区の前史と行政区画の移り変わりとは? わかりやすく解説

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渋谷区の前史と行政区画の移り変わり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/13 17:47 UTC 版)

渋谷区の町名」の記事における「渋谷区の前史と行政区画の移り変わり」の解説

渋谷区は、昭和7年1932年10月1日従前豊多摩郡渋谷町千駄ヶ谷町代々幡町(よよはたまち)の区域をもって成立した当時東京市の区であった)。以下、明治時代初期から渋谷区成立までの行政区画変遷について略述する。 現在の渋谷区区域は、かつては武蔵国豊島郡属していた。後に渋谷区となる区域は、近世末には上渋谷村、上豊沢、中渋谷村中豊沢村、下渋谷村、下豊沢千駄ヶ谷村穏田原宿代々木村幡ヶ谷村11麻布広尾町渋谷広尾町渋谷宮益町などの町に分かれていた。 慶応4年7月17日1868年9月3日)、「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」が発せられ、それまでの「江戸」が「東京」改称され東京府設置された。以後1889年明治22年)に東京市発足するまでの過渡期には、東京府行政区画めまぐるしく変遷し番組制、大区小区制15区6郡制等と呼ばれる制度相次いで実施された。 現・渋谷区区域については、中渋谷村、下渋谷村、下豊沢千駄ヶ谷村原宿麻布広尾町渋谷広尾町渋谷宮益町は東京府編入された。残余の上渋谷村、上豊沢中豊沢村、下渋谷村、下豊沢穏田代々木村幡ヶ谷村は、武蔵知県事支配経て明治2年から4年(1869 - 1871年)までは品川県属していた。 明治4年7月1871年8月)、廃藩置県実施された。同年11月1872年1月)、従来東京府品川県小菅県廃止されて、新し東京府設置された。同時に府内は6大区97小区分けられた(いわゆる大区小区制)。明治7年1874年3月大区小区区割り見直されあらため11大区103小区設置された。後に渋谷区となる区域は、このうちの第7大区第1小区、及び第8大区1・3小区属していた。 その後郡区町村編制法施行に伴い大区小区制廃止され明治11年1878年11月2日東京府下に15区6郡(荏原南豊島、北豊島、東多摩南足立、南葛飾)が置かれた。現・渋谷区区域は、このうち南豊島郡一部、及び麻布区赤坂区の各一部にあたる。 明治22年1889年)、市制・町村制施行され東京市15区からなる)が成立東京府下の6郡は既存町村整理統合され85町村となった85町村のうち南豊島郡属していたのは2町6で、このうち現在の渋谷区区域該当するのは渋谷村千駄ヶ谷村代々幡村の3である。これら3は、市制町村制施行以前存在した町村廃置分合によって成立した。新3旧町村対応関係以下のとおりである。 渋谷村 - 上渋谷村、中渋谷村、下渋谷村麻布広尾町渋谷広尾町渋谷広尾町渋谷広尾町渋谷宮益町、渋谷神原町青山南七丁目青山北七丁目 千駄ヶ谷村 - 千駄ヶ谷村穏田原宿 代々幡村 - 代々木村幡ヶ谷村

※この「渋谷区の前史と行政区画の移り変わり」の解説は、「渋谷区の町名」の解説の一部です。
「渋谷区の前史と行政区画の移り変わり」を含む「渋谷区の町名」の記事については、「渋谷区の町名」の概要を参照ください。

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