淡水生物の調査研究地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 09:06 UTC 版)
詳細は「宇川のアユ」を参照 1950年(昭和25年)には水産庁が京都府に委託し、京都大学理学部の宮地伝三郎(動物生態学者)が主体となってアユの放流基準密度策定事業が開始された。日本国内で初めてアユの研究・調査が行なわれることとなり、宇川の名前が全国的に知られるようになった(宇川のアユ)。1955年(昭和30年)には京都大学の淡水生物研究河川となり、なわばり行動と生息密度の関係など遡上アユの生態が明らかにされている。 宇川は遡上数の年別変動が大きく50倍程度あり、生息密度も大きく変化する。オイカワやカワムツなど日本の川魚の生態研究の中心地でもあり、宮地に指導を受けた川那部浩哉や水野信彦などの生物学者を輩出した。宇川は「淵」の形態・成因の研究地にもなり、M型やR型など淵の景観的区分は宇川から始まった。 河道には農業用の取水堰が多く設置されているが、これらの取水堰には川魚が遡上する川を目指して様々なタイプの魚道が設置されている。宮地が記した『アユの話』は東京書籍の中学校3年国語教科書に一部が収録されたこともあった。
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