法願寺村とは? わかりやすく解説

法願寺村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 14:24 UTC 版)

高木 (さいたま市)」の記事における「法願寺村」の解説

江戸期武蔵国足立郡指扇領に属する法願寺村(ほうがんじむら)であった法眼寺とも称された。村高正保年間の『武蔵田園簿』では27石余(田18石余、畑8石余、野銭199文)、『元禄郷帳』では22石余、『天保郷帳』では20石余であった助郷中山道上尾宿出役していた。化政期戸数は4軒で、規模東西2町、南北1町余であった村域高木村南東部木之下村飛地東側北野貝戸村南側福田陣屋跡周辺)に当たる。地名の起源定かではないが、当地にが建立されていたと云われていたことに因む。なお今日の日蓮宗法光寺およびその地蔵堂旧称は法願寺であるが、当村との関係不明1590年天正18年)より知行旗本三宅氏1596年慶長元年)より幕府領となる。1623年元和9年)より知行旗本山内氏1689年元禄2年)は再び幕府領検地1694年元禄7年)に実施1828年文政11年)より上尾宿寄場66村組合所属していた。 1868年慶応4年6月19日 - 武蔵知県事山田政則(忍藩士)の管轄となる。 1869年明治2年1月13日 - 武蔵知県事宮原忠英管轄区域大宮県設置県庁東京府馬喰町置かれる9月29日 - 県庁浦和置かれ浦和県改称1871年明治4年11月13日 - 埼玉県管轄となる。

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