北野貝戸村
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「高木 (さいたま市)」の記事における「北野貝戸村」の解説
江戸期は武蔵国足立郡指扇領に属する北野貝戸村(きたのかいとむら)で、古くは高鼻荘に属していたと云われている。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では84石余(田49石余、畑35石余、野銭永199文)、『元禄郷帳』では75石余、『天保郷帳』では82石余であった。助郷は中山道上尾宿に出役していた。化政期の戸数は15軒で、村の規模は東西4町、南北4町であった。村域は高木村の中央部(木之下村の南側、阿弥陀寺村の西側、法願寺村および木之下村の飛地の北側)に当たる。地名の起源は不明。荒川に下谷原入会地を領していた。 1590年(天正18年)より知行は旗本三宅氏。 1596年(慶長元年)より幕府領となる。1623年(元和9年)より知行は旗本山内氏。 1689年(元禄2年)は再び幕府領、1706年(宝永3年)より知行は旗本山中氏。検地は1694年(元禄7年)、入会地の検地は1744年(延享元年)にそれぞれ実施。 1828年(文政11年)より上尾宿寄場66か村組合に所属していた。 1869年(明治2年)12月2日 - 旗本領が上知され、浦和県の管轄となる。 1871年(明治4年)11月13日 - 埼玉県の管轄となる。
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