阿弥陀寺村
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「高木 (さいたま市)」の記事における「阿弥陀寺村」の解説
江戸期は武蔵国足立郡指扇領に属する阿弥陀寺村(あみだじむら)であった。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では128石余(田41石余、畑87石余、野銭永48文)、『元禄郷帳』では88石余で以降増減なし。助郷は中山道上尾宿に出役していた。化政期の戸数は16軒で、村の規模は東西1町半、南北1町半であった。村域は高木村の中央部(木之下村の南側、北野貝戸村の東側)に当たる。地名の起源は阿弥陀寺が当地に建立されていたことから。その阿弥陀寺は火災で焼失し、寺記を失っている。阿弥陀寺そのものは現存する。荒川に入会秣場(入会地)を領していた。 1590年(天正18年)より知行は旗本三宅氏。 1596年(慶長元年)より幕府領となる。1623年(元和9年)は旗本山内氏。 1689年(元禄2年)は再び幕府領、1705年(宝永2年)より知行は旗本戸田氏。検地は1694年(元禄7年)、1744年(延享元年)に実施。 1828年(文政11年)より上尾宿寄場66か村組合に所属していた。 1869年(明治2年)12月2日 - 旗本領が上知され、浦和県の管轄となる。 1871年(明治4年)11月13日 - 埼玉県の管轄となる。
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