河合栄治郎事件
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河合栄治郎事件(かわいえいじろうじけん)は、1938年から1943年まで続いた、東京帝国大学経済学部教授の河合栄治郎を社会的に抹殺しようとした右翼・軍部・ファシズム勢力[注釈 1]による思想弾圧事件である。
注釈
- ^ この社会情勢をファシズムではないとする現在の学説があることは確かである。しかし、長谷川如是閑や河合などは「ファシズム」という用語を使っており、当時の知識人はファシズムと認識していたので、本項目でもそのまま使うこととする。
- ^ 以降、河合は『国民に愬う』(1941年)などその他の著書の実質的発禁を余儀なくされた。一方で、ファシズム批判とは関係ないものに関しては、『学生叢書』(1936-41年)は全巻完結まで出版でき、『学生に与う』も刊行することができた。
- ^ 以降、河合は著書を著せず、したがってこのときの思いを公表できなかったが、土方は戦後『学界春秋記』(中央経済社、1960年)を著した。
- ^ 裁判闘争に関しても、河合は生存中は思いを公表できなかったが、死後『自由に死す――河合栄治郎法廷闘争記』(1950年)が刊行された。
出典
- ^ 「河合教授の四著書発禁」(東京堂年鑑編輯部編『出版年鑑 昭和14年版』東京堂、1939年、pp.79-80)
- ^ 文部省、河合教授辞職勧告を東大に要望『東京朝日新聞』(昭和13年11月12日)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p84 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- 1 河合栄治郎事件とは
- 2 河合栄治郎事件の概要
- 3 参考文献
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