決議案採択の影響
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この決議案の採択は、この場まで生き残って出席した終身議席を有する2人のファシスト四天王の全員が賛成票を投じる等、ファシスト党の内部からムッソリーニを否定するものであり、イタリアにおけるファシズムの崩壊に直結するものとして非常に重要なものとなった。 エマヌエーレ国王は、この決議の採択を受け、1943年7月25日の午後、謁見のために王宮へ赴いたムッソリーニを待ち構える形で首相の解任を申し渡し、動員していたカラビニエリが逮捕した。 逮捕されたムッソリーニの身柄は、ムッソリーニの後継としてエマヌエーレ国王から首班指名を受けたピエトロ・バドリオへ引き渡され、バドリオはムッソリーニを連合国へ引き渡す前提で国内を頻繁に移動させて軟禁することで反体制派による奪還を防ごうとした。 このような中、1943年9月3日、連合軍によるベイタウン作戦をはじめとする一連のイタリア本土上陸作戦が決行され、9月8日にはイタリア王国が連合国に降伏する。 一方、ムッソリーニが逮捕、拘束された時点でイタリア戦線の完全な崩壊を危惧したナチス・ドイツは、アドルフ・ヒトラーの特命によってムッソリーニの救出作戦を計画、調査によって軟禁場所が特定されたため、1943年9月12日、ドイツ軍による救出作戦が決行され、ムッソリーニは無傷で救出された。救出されたムッソリーニは、ナチス・ドイツによって傀儡政権であるイタリア社会共和国の首班に据えられ、1945年4月にイタリア社会共和国が崩壊するまでナチス・ドイツとともに連合国及びイタリア王国と戦うことになった。 なお、イタリア社会共和国の政権成立後、ナチス・ドイツの強い要望により、この決議案に賛成票を投じた者に対する捜索が行われ、逮捕、拘束された者は処刑されている。
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