決議案を提出するまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 02:42 UTC 版)
「グランディ決議」の記事における「決議案を提出するまで」の解説
ムッソリーニを首相の座から引きずり下ろすことを決意したエマヌエーレ国王は、ピエトロ・バドリオにムッソリーニの後継として首班指名することについて調整した後、側近とともにムッソリーニを逮捕する計画を作成した。 一方、ファシスト党の内部においても、グランディが主となって、国家の最高諮問機関であるファシズム大評議会を利用し、首相退任要求の決議案を採択する形でムッソリーニを首相の座から追い落とすことを画策していた。 グランディは、ムッソリーニが、その戦争指導によってイタリア王国を全面的な破滅の危機に追い詰めた責任を厳しく問い、統帥権と国家の決定権を国王へ返還し、首相からの退任を求める内容の決議案をまとめるとムッソリーニにファシズム大評議会の開催を要求、1943年7月24日に開催する約束を取り付けた。 その後、ファシズム大評議会開催の約束を取り付けたグランディは、決議案への賛同者を得るべく活動を開始したが、ムッソリーニは妨害しなかった。
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