池田定保とは? わかりやすく解説

池田定保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/11 17:50 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
池田 定保
時代 江戸時代後期
生誕 文化2年7月29日1805年8月23日
死没 弘化4年7月17日1847年8月27日
改名 六丸・尚五郎(幼名)、定保
別名 通称:兵部、式部、刑部
戒名 譲徳院義山全智
墓所 東京都墨田区弘福寺
官位 従五位下、長門
幕府 江戸幕府
因幡国若桜藩
氏族 池田氏
父母 父:池田定常、母:柿沼氏
養父:池田定興
兄弟 徽子(青木一貞室)、煕子、定興
池田喜長室、恵子、茄子、恭之助、
力三郎、千之丞、常久、昌子、
鎮子(織田秀陽室)、春子、定保、定足、房子、池田政行室、
正室:岡部長慎の娘
定位(長男)、静子(池田清緝正室)、
寛子(池田慶徳正室)、養子:清直
テンプレートを表示

池田 定保(いけだ さだやす)は、因幡若桜藩(鳥取西館新田藩)の第7代藩主。

略伝

文化2年(1805年)7月29日、第5代藩主であった池田定常の六男として鳥取で生まれる。定常は定保が生まれる前の享和2年(1802年)に隠居し、長男(定保の異母兄)の定興が第6代藩主となっていたが、定興が文化4年(1807年)11月3日に早世したため、定保がその養子として文化5年(1808年)2月4日に幼くして家督を継いだ。

江戸城御門番を勤めた後、文化11年(1814年)に二条城の大番頭に任じられた。文政5年(1822年)12月26日、従五位下・長門守に叙位・任官する。天保3年(1832年)に大坂城定番に任じられた。弘化4年(1847年)7月17日、江戸で死去した。享年43。跡を養子の清直が継いだ。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「池田定保」の関連用語

池田定保のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



池田定保のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの池田定保 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS