池尻愼一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/13 08:11 UTC 版)
池尻 愼一(いけじり しんいち、1908年 - 1945年)はハンセン病を専門とした医師、作家。ハンセン病、ハンセン病患者と真剣に向かいあい、作品『傷める葦』は1年未満で30版を数えた。太平洋戦争で応召し、1945年1月ジャワで戦死した。ペンネームは邑楽 愼一(おおら しんいち)。
- ^ 著書 『傷める葦』の「輸血」の章にもこの顛末の記載がある。120ccを輸血し、1カ月はよかったが患者は自殺したという。
- ^ 朝日新聞1934年12月27日号
- ^ 九州大学歴代教授
- ^ 内田守『ユーカリの実るを待ちて』(リデル・ライト記念老人ホーム、1976年) p301-305
- ^ 『傷める葦を憶う』の中の森幹郎「らい史上に輝く池尻先生のこと」より。p228-228
- ^ 藤野豊『戦争とハンセン病』(吉川弘文館、2010年) p127。文献は内田守『傷める葦を思う』より。
- ^ 内田守『傷める葦を憶う』(コロニー印刷、1964年)P219
- ^ 内田守『傷める葦を憶う』(コロニー印刷、1964年)p.6
- ^ 内田守『ユーカリの実るを待ちて』(リデル・ライト記念老人ホーム、1976年) p305
池尻愼一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/03 17:12 UTC 版)
「ハンセン病に関連した人物」の記事における「池尻愼一」の解説
池尻愼一(いけじりしんいち1908-1945) ハンセン病を専門とした医師で、作家でもある。ハンセン病に関してのエッセイ「傷める葦」は1年以内に30版を重ねた。応召し1945年1月ジャワで戦死した。ペンネーム邑楽愼一(おおらしんいち)。
※この「池尻愼一」の解説は、「ハンセン病に関連した人物」の解説の一部です。
「池尻愼一」を含む「ハンセン病に関連した人物」の記事については、「ハンセン病に関連した人物」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 池尻慎一のページへのリンク