えどうまれうわきのかばやき〔えどうまれうはキのかばやき〕【江戸生艶気樺焼】
江戸生艶気樺焼
読み方:エドウマレウワキノカバヤキ(edoumareuwakinokabayaki)
江戸生艶気樺焼
江戸生艶気樺焼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/10 03:20 UTC 版)
『江戸生艶気樺焼』(えどうまれ うわきの かばやき)は、江戸時代中期の文学作品。山東京伝の黄表紙の代表的な作品。3冊。発刊は1785年(天明5年)。京伝24歳の作品。 挿絵は山東京伝(北尾政演)自作。版元は蔦屋重三郎。
- ^ 顔は不細工な団子鼻で、様々な作品や京伝の自画像にも使われ、京伝鼻・艶二郎鼻といわれた。
- ^ 京伝も1786年(天明6年)に新内めりやす「すがほ」を作詞している。
- ^ 世間の出来事を摺り物にして路上で売り歩く者
- ^ いずれも吉原の代表的な妓楼松葉屋の実在の遊女
- ^ 京伝が親交を結んでいた吉原の妓楼扇屋主人守右衛門の俳名。彼が郭内の素人芝居で工藤を演じたので、幸四郎が工藤を演じることを墨河を演じると表現している。
- ^ 仕度金をもらって妾になっておいて、故意に寝小便をして解雇されることで大金を儲けるやりかた。「小便をして逃るのは妾と蝉」という川柳もある。
- ^ 新造とは少女のような若い女郎のこと。本当の目的は姉女郎(この場合は浮名)にあるが表向きは新造を買い、ひそかに姉女郎と逢うのは通なやりかたとされた。
- ^ 扇子の地紙を売る者で初夏の頃から粋な姿で箱をかついで市中を歩いた。
- ^ 当時流行した唄「金を拾ふたらゆかたを染めよ。肩にかなてこもすそに碇、質に置ても流れぬように」を下敷きにしている。
- ^ 遊女と客の心中は、失敗すると日本橋際に晒されたうえに男女別に非人頭に引き渡された。
- ^ 『仮名手本忠臣蔵』七段目・祇園一力の場で大星由良助がお軽に「間夫があるなら添はしてやろ・・・・・・三日なりとも囲うたら、それからは勝手次第」という。
- ^ 月掛けで金を積み立てて、順々に伊勢へ行き太々神楽を奉納した。伊勢講の一種。
- ^ 興が醒めて寒さで鳥肌(鮫肌)がたったという意味。浄瑠璃の道行き文をもじっている。
- 1 江戸生艶気樺焼とは
- 2 江戸生艶気樺焼の概要
- 3 挿絵
江戸生艷気樺焼と同じ種類の言葉
黄表紙に関連する言葉 | 心学早染草(しんがくはやそめぐさ) 文武二道万石通 江戸生艶気樺焼 袋入り本(ふくろいりぼん) |
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