江戸期の印東氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 15:18 UTC 版)
鹿児島藩士の印東氏 印東彦兵衛より始まる。薩摩鹿児島藩士の略歴を記した『諸家大概』には千葉氏庶流として掲載されている。 豊臣家の摂津国能勢村代官であった彦兵衛は、島津惟新が関ヶ原で敗れて摂津国に逃れた際に協力した功によるものか、島津家に味方して召抱えられた。(『鹿児島県資料集IV』所収:鹿児島県立図書館 編) 上総久留里藩(黒田家) 藩士に印東氏が見られる。 南部藩 『南部藩参考諸家系図 4』(前沢隆重他編 国書刊行 会 1985) p213-214『印東氏』の系図があることが確認されている。 前橋藩 印東家は、最初、蒲生家に使えるが、蒲生家廃絶と共に浪人、島原の乱で立花宗重と共に戦い、軍功を挙げる。その後、その功により、白河で、直基に仕え、幕末まで大和守家の家臣として仕える。慶応3年前橋城作事奉行として、川越から前橋に下っている。 明治8年頃の熊谷県で一斉に旧藩土の貫属(出身地と身分〉を調査した短冊帳により、前橋藩士に見られる名字(苗字)に印東氏が見られる。
※この「江戸期の印東氏」の解説は、「印東氏」の解説の一部です。
「江戸期の印東氏」を含む「印東氏」の記事については、「印東氏」の概要を参照ください。
- 江戸期の印東氏のページへのリンク