江戸期の堀江の商業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 05:11 UTC 版)
「堀江 (大阪市)」の記事における「江戸期の堀江の商業」の解説
これら優遇策により堀江は徐々に賑わいを見せ始める。 まず諸国からの材木を扱う材木業が水運の便利で土地もある堀江に立地した。長堀川の河岸は「材木浜」と呼ばれるほどになり、江戸末期には家具製造、仏具製造、欄間製造などの関連産業も立ち上がった。 長堀川下流部の西長堀に土佐藩蔵屋敷があったが、名産の鰹節をここで全国に販売する鰹座を設置していた。現在も鰹座橋の交差点名が残る。 堀江川沿いには藍玉屋が並び染色業を営んだ。 また、堀江には「青物市」(野菜市場)なども整備された。もともと大坂の青物は天満の天満青物市場が独占しており、他の町が青物市を出すことには強硬に反対していたが、堀江の発展のためここにだけ例外的に青物市が認められることになり、近郊農家の多い難波村などから多くの農民が野菜を売りに来た。
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