汎スラヴの賛歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 04:30 UTC 版)
彼は直ぐに全スラヴを含む歌詞に書換え、その後、主にオーストリアに支配されているスラヴの地で、『スラヴ人よ』はスラヴ人のナショナリズム(国家主義)や汎スラヴの感情に対する広く知られた団結の歌となった。そして、多くの雑誌やカレンダーに印刷され、政治的な集会でも歌われ、汎スラヴ運動の非公式な賛歌となった。 ソコル運動の公式な賛歌となった時、汎スラヴの理想に基づき、オーストリア・ハンガリーの全域に亘って支持は増加。1905年、リュブリャナにてスロベニアの詩人である France Prešeren の記念碑建設の際には群衆が『スラヴ人よ』を歌い祝った。第一次世界大戦では、同じ民族感情を伝えて流血を防ぐ為、最前線の両側からスラヴ人の兵士が歌い、オーストリア=ハンガリー軍に徴兵された多くのスロベニア、クロアチア、セルビアのソコル会員は、セルビア軍やロシア軍に対し自ら降伏し、しばしば寝返ってさえいた。歌はバルカン諸国やロシア全域で彼らと共に広がり、両大戦の間も人気は衰えなかった。
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