汎スラヴ主義・東方正教会・マルクス主義(社会主義)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 19:30 UTC 版)
「南下政策」の記事における「汎スラヴ主義・東方正教会・マルクス主義(社会主義)」の解説
ロシア帝国の南下政策は、主にバルカン半島、中央アジア、中国及び極東の三方面において行われた。ロシア自身がスラヴ民族とギリシア正教圏(東方正教会)の盟主を自負していたこともあり、バルカン半島においては汎スラヴ主義と連動し当地での民族国家樹立を後押ししたが、一方では宗教も絡み、オスマン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国との対立の要因ともなった。 ロシア革命後のソビエト連邦は、帝国主義に基づいた膨脹政策を放棄したものの、当初は公然と革命輸出を唱えていたこともあり、革命の波及を恐れる列強によって封じ込め政策の対象となる。冷戦時代になると、社会主義陣営を拡張する動きが、かつての南下政策と同様の図式で語られることが多かった。
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