汎ヨーロッパ連合会長に就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 04:25 UTC 版)
「オットー・フォン・ハプスブルク」の記事における「汎ヨーロッパ連合会長に就任」の解説
リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの要請に応じてオットーは、1936年に国際汎ヨーロッパ連合の会員になっていた。当時のオットーには何か信念があったわけではなく、クーデンホーフ=カレルギーに対する友情から入会したにすぎなかったが、第二次世界大戦中にアメリカに亡命してヨーロッパを遠くから見ることによって、オットーは「ヨーロッパ人」という意識を強く持つようになった。 1972年、国際汎ヨーロッパ連合初代会長であったクーデンホーフ=カレルギーが死去。オットーは臨時会長となり、翌1973年に正式に第2代会長となった。
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