永正の安芸国人一揆とは? わかりやすく解説

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永正の安芸国人一揆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/04 13:29 UTC 版)

安芸国人一揆」の記事における「永正の安芸国人一揆」の解説

大内義興当主となっていた大内氏は、足利義稙擁して上洛しており、永正8年1511年)には山城国船岡山合戦決定的な勝利を収めた。この戦いには、毛利氏始めとする安芸の国人たちも数多く参戦しており、安芸国大内家の強い影響にあった。しかし、4年に渡る遠征に従っていた安芸国人衆には大内氏対する不満も溜まっていたほか、出雲国から勢力伸張させる尼子氏の力も安芸伸びつつあった。そのため、義興より一足早く帰国した毛利興元呼びかけにより、永正9年1512年3月3日国人一揆契約結ばれた今回一揆起請文連署したのは、毛利興元平賀弘保小早川弘平竹原小早川家)・吉川元経阿曽沼弘秀・野間興勝・天野興次・天野元貞高橋元光の9名。全て大内方属している国人であり、大内氏対す敵対的な一揆では無いが、「将軍他家からの命令には、相談してから対応を決める」「合戦時には協力する」ことなどが盛り込まれている。国人らが対等な立場維持しつつ、互い利益図ろうとしている。 なお、永正一揆にも安芸武田氏一揆締結時は大内と共に京で従軍中)は参加していない他、毛利氏居城吉田郡山城)に近いため敵対関係にあった宍戸氏宍戸元源)、竹原小早川家本家にあたる沼田小早川家小早川興平)なども加わってはいない。

※この「永正の安芸国人一揆」の解説は、「安芸国人一揆」の解説の一部です。
「永正の安芸国人一揆」を含む「安芸国人一揆」の記事については、「安芸国人一揆」の概要を参照ください。

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