永正11年没とする場合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/12/13 13:34 UTC 版)
延徳3年(1491年)に父が死去したため、家督を継いで第4代当主となる。 明応元年(1492年)、第10代将軍・足利義稙による六角征伐が始まると、信親は六角高頼を破るのに武功を挙げた。このため、義稙に重用されるようになり、義稙が京都から追放された後も義稙に従った。永正5年(1508年)、大内義興によって義稙が復権してくると、義稙に従い、足利義澄を奉じる六角高頼と戦って勝利した。 永正11年(1514年)に死去。享年57。跡を子の元信が継いだ。
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