民芸館の開館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 19:56 UTC 版)
1960年代半ばの春、本州からの客が工房を訪れ、「北海道の緑は本当にきれいですね」と漏らした。その言葉に木内は、「北海道に生まれ育ち、その緑にどれほど心をとめてみたことがあったろうか」と思い知らされ、その年の6月より、鳥取から本州を縦断する旅行に出た。本州で様々な緑を目にした後、青森から連絡船で北海道に渡ると、北海道の緑は木内にとって、本州とはまったく異なる、伸び伸びとした広がりに感じられた。木内は、北海道にはまだ訪れていない多くの風土があると痛感し、この風土を生涯をかけて織っていくことを、改めて固く心に誓った。 1970年(昭和45年)、木内は旭川に「ユーカラ織民芸館」を開館した。個人作家が自力で作り上げた民芸館は、北海道ではこれが最初である。木内は自分自身の体験から、女性の就業機会の必要性を痛感していたことから、民芸館の従業員として、母子家庭の女性を優先的に採用した。木内は北海道で伝統工芸を開始するためには、できるだけ多くの人の目に触れさせ、ユーカラ織の名を広める必要から、民芸館の他にも各地で展覧会を開催した。
※この「民芸館の開館」の解説は、「木内綾」の解説の一部です。
「民芸館の開館」を含む「木内綾」の記事については、「木内綾」の概要を参照ください。
- 民芸館の開館のページへのリンク