民主党政権下、そして新党へ
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「松崎哲久」の記事における「民主党政権下、そして新党へ」の解説
12月、小川敏夫広報委員長の下で委員長代理に就任。2010年(平成22年)6月、鳩山内閣から菅内閣への交代に伴う党人事で、山岡賢次広報委員長の下、委員長代理に留任。9月14日執行の民主党代表選挙では小沢一郎支持を明確にし、メディアに多数出演して小沢支持を訴えた。しかし、お膝元の民主党埼玉10区総支部においては党員サポーター票は僅差ではあったが菅直人に1ポイント入る結果となり「面目ない結果」とHP上で感想を述べた。代表選挙後の党人事で、政策調査会の文部科学部門会議座長に就任。広報委員長代理は大塚耕平委員長の下で再任。 2011年9月2日の野田内閣発足で党政策調査会長に就任した前原誠司会長の下、政策調査会副会長と国土交通部門会議座長に就任。11月に広報委員長代理は退任。 2012年の消費増税をめぐる政局では、野田内閣による消費増税法案の閣議決定に抗議して3月30日に党政調副会長の辞表を提出し、4月23日の党役員会で受理された。6月26日の衆議院本会議で行われた消費増税法案の採決では、党の賛成方針に反して反対票を投じた。7月2日には山岡賢次らを介して離党届が提出された。民主党は7月3日の常任幹事会で離党届を受理せず除籍処分とする方針を決定し、7月9日の常任幹事会で正式決定した。 同年7月11日、国民の生活が第一の結党に参加した。
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